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最高裁判所第一小法廷 昭和50年(行ツ)98号 判決

上告人

福岡県知事

亀井光

右指定代理人

蓑田速夫

外一〇名

被上告人

孫振斗

右訴訟代理人

山下勝彦

外二名

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人貞家克己、同伴喬之輔、同矢崎秀一、同桑畑稔、同小沢義彦、同西幸夫、同黒川弘、同鏑木伸一、同船橋光俊、同元村昭典、同近藤栄次郎の上告理由について

論旨は、要するに、原審が、原子爆弾被爆者の医療等に関する法律(昭和三二年法律第四一号。以下「原爆医療法」という。)はわが国に不法に入国した外国人被爆者にも適用されるものであるとの見解のもとに、不法入国者である被上告人の被爆者健康手帳交付申請を却下した本件処分を違法としたのは、同法三条の解釈適用を誤つたものである、というにある。

そこで検討するのに、原爆医療法は、「広島市及び長崎市に投下された原子爆弾の被爆者が今なお置かれている健康上の特別の状態にかんがみ、国が被爆者に対し健康診断及び医療を行うことにより、その健康の保持及び向上をはかることを目的とする。」(同法一条)ものであり、被爆者が同法三条に基づきその居住地(居住地を有しないときはその現在地)の都道府県知事(その居住地が広島市又は長崎市であるときは当該市の長。以下同じ。)に申請して被爆者健康手帳の交付を受けたときは、都道府県知事において、右被爆者に対し毎年一般検査及び精密検査による健康診断とそれに基づく必要な指導を行う(同法四条ないし六条、同法施行規則六条)ほか、厚生大臣において、原子爆弾の傷害作用に起因して負傷し又は疾病にかかり現に医療を要する状態にある被爆者に対し、当該負傷又は疾病が原子爆弾の傷害作用に起因する旨の認定をしたうえで、指定医療機関による必要な医療の給付又はこれに代わる医療費の支給をし(同法七条ないし一四条)、更に、一般の負傷又は疾病によつて医療を受けた被爆者に対しては、一定条件のもとに一般疾病医療費を支給する(同法一四条の二ないし一四条の七)ことなどを定め、これらに要する費用は全額国が負担するものとしている(同法二〇条)。被爆者は、従前から、被爆による健康上の障害につき、一般傷病者と同様の立場において健康保険法等の各種医療保険法あるいは生活保護法等による医療給付を受けることができたのであるが、被爆者の特別の健康状態にかんがみるとなお十分ではないので、更に救済を強化するために原爆医療法が制定されるに至つたものである。

右のように、原爆医療法は、被爆者の健康面に着目して公費により必要な医療の給付をすることを中心とするものであつて、その点からみると、いわゆる社会保障法としての他の公的医療給付立法と同様の性格をもつものであるということができる。しかしながら、被爆者のみを対象として特に右立法がされた所以を理解するについては、原子爆弾の被爆による健康上の障害がかつて例をみない特異かつ深刻なものであることと並んで、かかる障害が遡れば戦争という国の行為によつてもたらされたものであり、しかも、被爆者の多くが今なお生活上一般の戦争被害者よりも不安定な状態に置かれているという事実を見逃すことはできない。原爆医療法は、このような特殊の戦争被害について戦争遂行主体であつた国が自らの責任によりその救済をはかるという一面をも有するものであり、その点では実質的に国家補償的配慮が制度の根底にあることは、これを否定することができないのである。例えば、同法が被爆者の収入ないし資産状態のいかんを問わず常に全額公費負担と定めていることなどは、単なる社会保障としては合理的に説明しがたいところであり、右の国家補償的配慮の一端を示すものであると認められる。また、わが国の戦争被害に関する他の補償立法は、補償対象者を日本国籍を有する者に限定し、日本国籍の喪失をもつて権利消滅事由と定めているのが通例であるが(戦傷病者戦没者遺族等援護法一一条二号及び三号、一四条一項二号、二四条、三一条一項二号、戦傷病者特別援護法四条三項、六条一項等)、原爆医療法があえてこの種の規定を設けず、外国人に対しても同法を適用することとしているのは、被爆による健康上の障害の特異性と重大性のゆえに、その救済について内外人を区別すべきではないとしたものにほかならず、同法が国家補償の趣旨を併せもつものと解することと矛盾するものではない。

このような原爆医療法の複合的性格からすれば、一般の社会保障法についてこれを外国人に適用する場合には、そのよつて立つ社会連帯と相互扶助の理念から、わが国内に適法な居住関係を有する外国人のみを対象者とすることが一応の原則であるとしても、原爆医療法について当然に同様の原則が前提とされているものと解すべき根拠はない。かえつて、同法が被爆者の置かれている特別の健康状態に着目してこれを救済するという人道的目的の立法であり、その三条一項にはわが国に居住地を有しない被爆者をも適用対象者として予定した規定があることなどから考えると、被爆者であつてわが国内に現在する者である限りは、その現在する理由等のいかんを問うことなく、広く同法の適用を認めて救済をはかることが、同法のもつ国家補償の趣旨にも適合するものというべきである。

これをわが国に不法入国した外国人被爆者の場合について更にふえんすれば、右の者がわが国の入国管理法令上国内に留まることを許されず、すみやかに退去強制の措置を受けるべきものであることは、いうまでもない。しかしながら、前述のような被爆者の救済という観点を重視するならば、不法入国した被爆者も現に救済を必要とする特別の健康状態に置かれている点では他の一般被爆者と変わるところがないのであつて、不法入国者であるゆえにこれをかえりみないことは、原爆医療法の人道的目的を没却するものといわなければならない。もつとも、不法入国した被爆者が同法の適用を受けることができないとしても、わが国において自費により必要な診察や治療を受けることまでができないわけではないが、その資力のない者にとつては、同法の適用を拒否されることが医療の機会そのものを失うことにつながりかねないのである。他方、不法入国した被爆者に同法の適用を認めた場合でも、その者に対し入国管理法令に基づく退去強制手続をとることはなんら妨げられるものではないから、右の適用を認めることが、外国人被爆者の不法入国を助長することになるとか、入国管理制度の適正な執行を阻害することになるとかを危惧することは、当たらないというべきであるし、また、右退去強制により、不法入国した被爆者が短期間しか同法の給付を受けられない場合がありうるとしても、そのことだけで、その間の給付が全く無益又は無意味であつたことに帰するものではない。更に、一般的には、わが国に不法入国した外国人が国民の税負担に依存する国の給付を権利として請求しうるとすることは、極めて異例であるというべきであるが、原爆医療法は、被爆者という限られた範囲の者のみを対象とした特別の立法であり、厳正な入国管理のもとでは少数である不法入国者を対象者に含ませたからといつて、そのことによる国の財政上の負担はやむをえないとしなければならない。

このようにみてくると、不法入国者の取締りとその者に対する原爆医療法の適用の有無とは別個の問題として考えるべきであつて、同法を外国人被爆者に適用するにあたり、不法入国者を特に除外しなければならないとする特段の実質的・合理的理由はなく、その適用を認めることがよりよく同法の趣旨・目的にそうものであることは前述のとおりであるから、同法は不法入国した被爆者についても適用されるものであると解するのが相当である。

本件において原審の認定するところによれば、被上告人は、大韓民国国籍を有する被爆者であり、昭和四五年一二月三日同国から佐賀県東松浦郡鎮西町名護屋串浦港に不法入国した直後出入国管理令違反の現行犯として逮捕され、身柄拘束のまま有罪の実刑判決を受けて服役し、その間に退去強制令書も発付されている者であるが、昭和四六年一〇月五日上告人知事に対し、原爆医療法三条に基づき被爆者健康手帳の交付を申請したところ、わが国に正規の居住関係を有しないとの理由でこれを却下された、というのである。してみると、被上告人は、不法入国による刑の執行と退去強制手続のためにのみわが国に現在しているにすぎない者であるが、既に述べたところにより、右のような立場にある不法入国者であつても、被爆者である以上は、原爆医療法の適用外とすべきではない。このことは、被上告人が被爆当時は日本国籍を有し、戦後平和条約の発効によつて自己の意思にかかわりなく日本国籍を喪失したものであるという事情をも勘案すれば、国家的道義のうえからも首肯されるところである。

以上のとおりであるから、上告人知事の右却下処分を違法であるとした原審の判断は、その傍論部分の当否についてふれるまでもなく正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。それゆえ、論旨は採用することができない。

よつて、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官岸盛一の意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

裁判官岸盛一の意見は、次のとおりである。

わたくしは、多数意見に賛成するものであるが、なお、次のことを付加しておきたい。

原審の認定によれば、被上告人は、昭和一八年ごろから同二〇年九月ごろまで広島市南観音町一丁目に両親及び妹と共に居住し、その間被爆した者であるというのであり、その証拠として、甲第二、三号証(広島市において被上告人方の近隣に居住していた藤井平作及び松浦スミ子の作成名義の被爆状況証明書)、甲第一一号証の一、二(被上告人の妹孫貴達の学籍に関する照会及びその回答)、証人藤井幸雄の証言及び被上告人本人の供述が挙示されている。

しかしながら、右甲第二、三号証は、昭和四六年九月ごろ被上告人側からの求めによつて作成されたものであり、それには藤井平作及び松浦スミ子が被爆直後に被上告人を自宅付近で見かけたことなどが記載されているが、証人藤井幸雄、同上原敏子の各証言によれば、甲第二号証は藤井幸雄がその父平作からの伝聞を書いたものであり、また、甲第三号証は上原敏子が松浦スミ子からの伝聞を書いたものであつて、いずれも本人の自筆ではなく、かつ、二十数年前の混乱した状況下での出来事に関するものであること、被上告人の妹孫遺達は昭和二〇年三月に旧広島市立第二高等小学校を卒業後同市立第二高等女学校に入学したと述べているが、甲第一一号証の一、二によると同人が昭和二〇年三月まで右第二高等小学校に在籍していたことは認められるものの、その後の消息は確認することができないこと、前記証人藤井幸雄は、昭和二〇年八月二八日に海軍から除隊してきたのちに自宅で被上告人と会つたことがある旨供述しているが、その供述は具体性に欠けるところなしとしないこと、更に、被上告人本人の供述をみると、被爆時の状況や被爆後帰宅するまでの経路等について述べるところが、証拠上明らかな当時の客観的状況と対比してかなり不自然であるばかりでなく、妹孫貴達の供述との間にも被爆に関する重要な事実、例えば、被上告人は、被爆当時両親と妹の四人で暮していたというのに対し、孫貴達は、そのほかに疎開してきた親族二〇名くらいが同居していたといい、また、被上告人は、当時の勤務先の皆実町の専売局倉庫で被爆したというのに対し、孫貴達は、帰宅してみると被上告人と母親は倒壊した自宅の下敷きになつていたといい、更に、父親の安否につき、被上告人は、父親は被爆後一時間半くらいして帰宅したというのに対し、孫貴達は、父親は帰宅せず遺体もみつからなかつたというように、生活を共にしていた兄妹の供述としては甚しい喰いちがいが認められること、そしてまた、原審も指摘するとおり、被爆による被上告人の受傷の部位についての被上告人の申立が甲第一〇号証の供述書及び第一審における供述と甲第一号証の被爆者健康手帳交付申請書に記載するところと大きな齟齬があること等を勘案すると、原判決挙示の証拠関係から被上告人が広島市において被爆したとの事実を認定することは、困難である。

いうまでもなく、原爆医療法の適用については、被爆の事実の存在が本質的な要件なのであるから、事実審としては、右の被爆事実につき、客観的な裏づけの証拠があるかどうかについてできる限り慎重な審理を尽くすべきであつて、行政事件訴訟法二四条が特に職権による証拠調に関する規定を設けているのも、このような場合のためなのである。したがつて、わたくしは、本件の被上告人の被爆事実に関する原審の事実認定は証拠法則に照らしたやすく首肯することができないと考えるのであるが、しかし、右の点は上告理由として主張されていないので、当審としては、原審の認定を前提として判断するほかはないのである。

(岸盛一 岸上康夫 団藤重光 本山亨)

上告理由〈省略〉

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